大分市議会 2021-12-08 令和 3年第4回定例会(第4号12月 8日)
しかし、乗船のエルトゥールル号は、翌9月16日、和歌山県串本町大島沖で台風に遭遇、587名が殉職、生存者は僅か69名という大海難事故となりました。大島島民は、不眠不休で生存者の救助、遺体捜索、引揚げに当たりました。69名の生存者は治療を受け、翌10月、2隻の日本軍艦により、帰国の途につき、翌明治24年1月、無事イスタンブールに帰港、日本海軍は、トルコ国民の心からの感謝に迎えられました。
しかし、乗船のエルトゥールル号は、翌9月16日、和歌山県串本町大島沖で台風に遭遇、587名が殉職、生存者は僅か69名という大海難事故となりました。大島島民は、不眠不休で生存者の救助、遺体捜索、引揚げに当たりました。69名の生存者は治療を受け、翌10月、2隻の日本軍艦により、帰国の途につき、翌明治24年1月、無事イスタンブールに帰港、日本海軍は、トルコ国民の心からの感謝に迎えられました。
議員御指摘のとおり、死亡者が、協定締結時は当然生存者ですね、その後、死亡した方については、そのままの状態で変更届何なりが出ていないという状況は確認しております。 以上です。
オランダのロッテルダムを出港して、日本に最初に到着した場所が臼杵であったことや、リーフデ号の生存者24名を臼杵の人々が手厚く看病したことなど、臼杵と按針の関わりについても詳しく紹介しています。
レスキュー隊員は、生存者の救助という崇高な任務に、時として我が身の危険を顧みずに当たっていることに、私は日ごろから深い敬意を抱いています。しかしながら、災害規模や災害現場の特殊性などから、図らずも救助ではなく遺体の収容などに当たらざるを得ないという事態が生じることも容易に想像できます。そのような活動現場に遭遇した消防職員の皆さんの精神的負担は、我々には想像を絶するものがあることでしょう。
レスキュー隊員は、生存者の救助という崇高な任務に、時として我が身の危険を顧みずに当たっていることに、私は日ごろから深い敬意を抱いています。しかしながら、災害規模や災害現場の特殊性などから、図らずも救助ではなく遺体の収容などに当たらざるを得ないという事態が生じることも容易に想像できます。そのような活動現場に遭遇した消防職員の皆さんの精神的負担は、我々には想像を絶するものがあることでしょう。
これら災害のときに、消防とともに犬が行方不明者を捜索しているシーンをメディアなどで見たことがある方も多いかと思いますが、あの犬こそ、生存者を捜すために特殊な訓練を受けた災害救助犬であります。 この災害救助犬は、海外では古くから認知され、いざというときに使われてきましたが、日本では最近であります。
これら災害のときに、消防とともに犬が行方不明者を捜索しているシーンをメディアなどで見たことがある方も多いかと思いますが、あの犬こそ、生存者を捜すために特殊な訓練を受けた災害救助犬であります。 この災害救助犬は、海外では古くから認知され、いざというときに使われてきましたが、日本では最近であります。
また、一般市民がAEDを使用した除細動を実施した傷病者は1,030人であり、そのうち1カ月後生存者は519人、1カ月後生存率は50.4%であり、心肺蘇生を実施しなかった場合の1カ月後生存率8.4%と比較して、約6倍高くなっております。
また、一般市民がAEDを使用した除細動を実施した傷病者は1,030人であり、そのうち1カ月後生存者は519人、1カ月後生存率は50.4%であり、心肺蘇生を実施しなかった場合の1カ月後生存率8.4%と比較して、約6倍高くなっております。
なお、救命率につきましては、いわゆる心肺停止状態で救急要請のあった傷病者の十七名のうち、一カ月後の生存者は二名であり救命率は一一・八%であります。 今後も、市民の生命、身体、財産を守るべく、救急救命士を含む消防職員一丸となって、救急業務を遂行してまいりたいと思います。
捜索活動は氷点下の雪の積もる中で難航をきわめ、残念ながら生存者の発見には至りませんでしたけども、十二体の御遺体を発見したという報告を受けたところであります。 次に、五月八日から六月五日までの間、罹災証明事務支援のため、市職員四名を二班体制で宮城県多賀城市に派遣をいたしました。
この中で、県隊長として戦術の指示はサーチ・アンド・レスキューと申しまして、生存者の検索、発見、救出が第一の任務です。これを指示しました。しかしながら、17日、18日、19日と3日間活動しましたが、生存者の発見、救出には至りませんでした。非常に残念で無念に隊員一同思っております。
この中で、県隊長として戦術の指示はサーチ・アンド・レスキューと申しまして、生存者の検索、発見、救出が第一の任務です。これを指示しました。しかしながら、17日、18日、19日と3日間活動しましたが、生存者の発見、救出には至りませんでした。非常に残念で無念に隊員一同思っております。
大分県隊としては生存者の発見救出にはつながらず、12名のご遺体を発見したという報告を受けております。活動終了後、去る22日に大分県緊急消防援助隊の解散式が行われ、竹田市に帰還したものであります。